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「ホモ・デウス下 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 2018年」読後感想 No.112

こんにちは naka です。

「ホモ・デウス下」をkindleで購入し耳読したので、その感想です。

上巻に続き、下巻もなんとか聞き終わりました。

とにかく長いので、途中途中に何か書いてあったのかは、読むはじから忘れていますが、印象に残るところはいくつかありました。

その一つとして、経済発展について、ほんの少し前までは、去年と同じものが得られればよしとする時代が長く続いていて、ごく最近になって去年よりもより多くを求めるようになったと言うところです。狩猟採集生活は、ある日多くの食べ物が得られたとしても、食料の日持ちがしないことで、仲間に分配することが定着するようになっていたそうです。ある部族では、余ったものをもらう場合にお礼を言わないのが当たり前であったそうです。それは逆の場合もありうることでそれを期待するからです。ただここから厳しいのは、いつも貰ってばかりいるようなフリーライダーばかりが得をしそうですが、もらうばからいだと分配を受ける権利が失われていき生き残りに不利になってしまうと言うことでした。動物でも同じ例があり、チスイコウモリも、余分に得られた血は日持ちがしないことから、餌にありつけなかった仲間に分け与えるのですが、それは過去に貸しのある相手が優先されるそうです。

それが、食料の保存可能な農耕社会になると食べ物を備蓄できるようになり、そうした貸し借りをその場その場で行っていたルールが変わり、よりたくさんの食べ物を生産することが望ましいと感じるように変わってきたと言うことです。狩猟採集の社会と農耕社会の対比がとても面白いです。

また、各個人の心拍数や各種ホルモンの分泌量などの24時間のモニタリングや、ネット上での書き込みなどの振る舞いを分析することで、本人以上にその人のことを知ることができるような時代が来ることの考察が面白いです。著者の指摘で面白いのは、こうした状況に対して、今の宗教は対応できていないと言う考えです。イスラム教が豚肉を食べることを禁じているのは、その宗教ができた当時の衛生面のリスクから合理的であったルールが今になるまで続いていると言うことです。これが今のAIやネットの発達した時代に対して合理的な教えがなく、対応している教えがないということで、なるほどというか、それまで考えたこともなかったことなのでした。

ちょうどお盆ということで、帰省しているのですが、お墓を管理しているお寺のお坊さんがお経上げに来ていただき、応対していたので、余計に興味深く感じました。こうした今の宗教もどう変わっていくことになるのかなとぼーっと考えていました。

まだ、読んでいない、「21 lessons」もここまで来たら読んでみようかと思いました。

ABOUT ME
naka
50代男のサラリーマンです。日々試したこと、読んだ本の感想や思ったことを書いています。

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